外国語が流暢にできることとコミュニケーションは別物?
最近になってちょっと気づいたことがある。
外国語の単語も熟語もよく知っていて、語彙も豊富で
長年、その言語が使われている国に住んでいる人が
必ずしもコミュニケーションに長けているとは
限らないことだ。
日頃、私はよく日本語を学んでいる外国人に接する機会が
多いのだが、日本語の単語も熟語もあまり豊富な知識を
持っておらず、また普段、会話の機会もあまりないのにもかかわらず
驚くほどコミュニケーション技術に長けている人がいる。
逆に日本での滞在期間が長年にわたっていて、日本語に
非常に自信のある人を知っているが、話していて食い違いが
あることがとても多い。これには驚いた。
いくら知識としての外国語運用能力が高いとしても
違和感のあるコミュニケーションをもってしては相手に
自分の言いたいことがうまく伝わらないどころか、いらぬ
誤解を与えたり、軋轢なども生じることになる。
しかし知っている言葉を最大限に駆使し、相手にとって
受け止めやすい会話を丁寧に使えばスムーズな
コミュニケーションが成立する。
外国語運用力も普段の母国語の運用力と同等であると
感じている。母国語でのコミュニケーションがしっかり
出来る人は外国語のコミュニケーションもしっかり出来る。
なので、まずはしっかりとした母国語における言葉の使い方を
学びつつ、相手の立場に立ったコミュニケーションの重要性を考慮して
会話の運用力を高めていくのが第一である。
そうしたら外国語を学んでゆく過程で非常に効果的に
きちんとしたコミュニケーションをとれる運用能力が
自然に身につく。
論理的かつスムーズで無駄のない会話の構成のセンスは
深い意味での関係の構築に重要なファクターである。
そして私たちが生活する実社会においてそれがうまく
できる人間は重宝がられる。皆から好かれる人はこういう面を
備えている。
外国語を学んでいくことにおいてもそういった面が
コミュニケーションの基盤にあれば相手からも
すんなり受け入れられ互いにとってストレスのない
会話が成立する。
私も外国語を日々学習しているが、同時に日本語の深みを
訓練することも怠らない。自分の伝えたいことをうまく相手に
伝え、また相手が伝えたいことをうまく受け取る能力を高めることに
最大限の注意を払っている。
外国語を学ぶことによって、日本語の運用力を高めていくことの
大切さを知らされた。
言葉というものの意味を的確に捉え、いかにコミュニケーションを
うまく成立させるかというおもしろさに気づいたことが私の人生の喜びである。
