いつの時代においても幸福な人はささいな幸せを感じている
ひさしぶりに昨日の夕食においてとてつもない幸せを感じた。
心の底から突き上げてくる喜びだった。
なんとはない、家庭の食卓において焼肉を食べたのであった。
これがまた美味しいのなんの・・・、最高の幸福を与えてもらった。
自慢ではないが普段はとても質素に毎日を暮らしている。
世間一般で言われる豪華な食事というものにありつけるのは、
ときどき知人の家に招かれたり、ごくわずかな知人と外食を
ともにするときぐらいである。
また着る服も最低限のものしか買わず、親戚より譲り受けたり
している。靴も普段履き二足、運動用一足ぐらい。
十分に消耗したら購入する。
私にとって幸せを感じる瞬間は本当に多い。
自分自身を世界で一番の幸福な人と感じる。
先日はトトロのテーマを聞いて涙が出てしまった。
心が和まされて、本当に幸せな気分になった。
飼い猫を見つめたり、遊んだり、一緒に肩をならべて
寝る時間も至福の時間であり、外出先で遭遇する外猫との会話も
かけがえのない時間である。
秋晴れの天気のよいときに眺める山々、静かな夜に心地よく響く
虫の音色、冬の朝もやの中の新鮮な空気、夏の真っ青な空と白い雲の
コントラスト。
友人との会話の中での何気ないことでの大爆笑。
買い物先での店員さんの気持ちのよい接客と笑顔。
かわいい子どもの屈託のないあどけなさに癒されるとき。
読書をしていて、知りたかった情報に出会えたときや
自分の固定観念を覆す言葉に我を忘れるとき。
勉強している外国語が相手とのコミュニケーションに
活用できたとき。
きれいに部屋の整理整頓と清掃が出来たとき。
喉が渇いたときに飲む水。
前々から欲しかったものがお手ごろな価格で
手に入ったとき。
ほんとうにささいな幸せを感じる瞬間が多い。
それを感じている瞬間にも幸福な自分を感じている。
ささいな幸せを感じるときは次から次へと連鎖的に
幸せを感じる出来事が発生する。
逆に不幸せを感じるときには次から次に不幸せを感じる
出来事が舞い込んでくる。
いつの時代であっても、どんな境遇、状況、環境にあっても
ささいなことに幸せを感じている人はその幸せの感情が
幸せを引き込むエンジンになっている。
行き詰まったとき、先が見えずに悶々としているとき、
希望を失って生きる気力に乏しいときは自分が感じる
気分のよくなるささやかな幸せをノートなどに書いてみたらいい。
今の自分が生きていて、寝る場所もあって、食事にもありつけることが
どれだけ恵まれているか気づかされる。
いつでもやり直せること。幸せは他人が運んでくるのではなくて
自分で創り出していくことができること・・・。
いろいろなポジティブな感情が浮き上がってくる。
コップに水が入っているのを見て、ある人はもうコップには
水がほとんど残っていないと感じ、ある人はまだ
コップには水が残っていると感じる。
要するにまったく同じ現象をどう見るかで人生の運命が
変わってくるのである。
人生とは、幸せとは、本当にシンプルである。
私たちのものの見方、解釈の仕方、意味づけで
すべての豊かさを手に入れることができるのである。
幸福な人になるには自分が幸福だと思う感情を感じることなのだ。
